秋田から世界へ・産業を育てる美容師の姿

秋田から世界へ・産業を育てる美容師の姿

人口減少時代・地域活性化が美容の未来を救う

美容室にとって人口減少は、お客様の減少につながる問題。特に地方では人口の県外流出が深刻化しています。秋田県の美容室『モードスタジオQ』/『プレアデスの宇宙船』・山本久博代表は美容師としての枠を超えて、若い世代が定着する地域づくりに取り組んでいます。今回、中でも長年取り組まれているソーラーカーレースと風力発電についてお話を伺いました。

山本 久博 (やまもと ひさひろ)
秋田県秋田市出身。山野高等美容学校(現在の山野美容専門学校)卒業。県内で『モードスタジオQ』、『プレアデスの宇宙船』の2店舗を経営している。パーム技術で14カ国の国際特許を取得したほか、カットツール『RAZARTE(レザルテ』を開発。

Q.ソーラーカーレースを主催されたきっかけについてお聞かせ下さい

A.約30年前、お客様から秋田の発展計画について何かアイディアはありませんか?というお話を頂き、大潟村にある広大な土地を活用して18kmのスペースシャトル滑走路をつくるプランの論文を寄稿したことがはじまりでした。

世界レベルの長さの滑走路により、大潟村が将来の宇宙航空産業の中心地になればと考えていましたが、そもそも村の知名度を上げなければ実現できない。そこで注目したのが当時、新しいエネルギーとして研究・開発が進んでいたソーラーエネルギーでした。

同時期にオーストラリアでは世界的なソーラーカーレースが開催され、学生チームがF1表彰台常連の企業チームに勝つという興味深い現象が起きていました。日本でも次世代の技術開発に強い若手エンジニアが育たなければ、海外に遅れをとってしまう。

大潟村にある「ワールド・ソーラーカー・ラリー」のコース

「ワールド・ソーラーカー・ラリー」のコース

こうして、大潟村で同じ規模のソーラーカーレースを企画しました。オーストラリアと同じルールで行われ、目標はそこに将来の宇宙開発を担うような優秀な学生が集まること。県と村に働きかけ1993年「ワールドソーラーカーラリー」がスタートし、その後、村に往復31kmのコースが完成しました。

山本代表の取り組みによって、現在大潟村のソーラーカーレースは全国から大学チームが参加しマシンの性能を競う大会へ成長。村自体の認知度向上に繋がりました。

モータースポーツ好きな自身もソーラーカーを製作し、2001年にユーラシア大陸横断成功、2007年にはオーストラリアWorld Solar Challenge 2007に『Team JonaSun』として参加し、ダーウィン-アデレード間・3022kmを走破するなどの実績をつくりました。2019年は大潟村のレースへの参加を予定しています。

オーストラリア縦断で乗車したソーラーカー
現在は大潟村干拓博物館に展示され、次の世代へと語り継がれている

Q.ソーラーカーチーム『Team JonaSun』とは、どのようなメンバーで構成されているのでしょうか

A.私(山本代表)とスタッフです。もともとはスタッフ同士の親睦を深めるための課外活動としてはじまりました。「美容とレース」一見遠い分野ですが、この活動でチームワークに磨きがかかり、サロンワークにも役立っています。

課外活動としてスタートしたチームが、日本列島がすっぽり収まる程の長距離を走破するまで本格化。自らが世界のソーラーエネルギー最前線で活躍することで、その本拠地である秋田県への注目度も高まります。

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